ヒャクニチソウ











がたがたと整備の悪い汽車にゆられながら斎藤は窓の外を眺めた。
イヤミなほど晴れ渡った空は青く何処までも遠い。

頭上で時折荷物が酷くはねる。景色が勢いよく流れていく。
緑の山が白墨をなすったようにしか見えない。見覚えのあるようで無い風景に思いをはせる必要もなく。
視界にちらつく金色を最後に端に捕らえた。冷たいガラスに額を押し当てて斎藤は目をつぶる。
到着まで後一刻。考えるのも面倒くさくて向かい風の席に座る金髪を蹴りあげた。

着いたら起こせと云い残し。汽車はまだ悲鳴を上げる。









適当に宿をとって荷物を預ける。黙ったままだとついてきそうな部下を場に残して斎藤は宿を出た。

雨が降りますよ。感じの好い女将だった。土地者の勘か。差し出された傘をやんわりと断って
じりじりと焼き付く太陽をしょった。

カラン、と下駄を泣らして通りを歩く。行きがけに花を買う。
柄杓と桶を好意で借りた。

予想どおりふさがった両手をぶらぶらゆらしながら一度聞いただけの道をたどる。
時期はずれもいい所だ。ぼんやり呆けた頭で考えた。

少々腰が痛かった。なれたはずの汽車に長時間揺られ続けた結果これだ。
東京から此処は酷くとおい。
よくもまあ許可がでたものだと思う。地面に転がる石に少し下駄をひっかけた。









御用がありましたら何なりと。そう云って女将はふすまを閉めた。愛想良く返した部下を尻目に斎藤は煙草をくゆらす。

へえ、とかほお、等間抜けた感嘆詞をつなぐ阿呆。
斎藤は雨戸と障子を押しやって窓の外を見下ろした。ごちんと壁に頭をあてて煙を吐く。
眉間に第二関節を押し当ててため息を吐いた。

具合でも悪いんか、そう云い近寄る部下を一瞥してひらひらと手を振ってみせた。

その意がはかりとれずに金髪の首がかしぐ。女将呼ぼか。
云い終わるか否かの内に拒否の意を示し煙草をもみ消した。まだ大分長かった。

蒼い目がゆっくりと瞬く。斎藤は壁に背を預けていた。のばされた手を払い、すぐ間近い顔をねめつけた。
そんな気分じゃない。と、斎藤は云った。







適当に建てられた墓石に刻まれた文字を見る。桶には近場で汲んだ水があふれている。
水面が灰色がかった雲を映して時折崩した。

ばしゃり、桶をつっこんで墓石にかける。汲む際にはねる水が斎藤の足下と流しの裾をぬらした。
熱さを持った石が冷える。急速に熱を奪われて色を変える。
まるで今日の空みたい。振り仰いだ空に太陽を見つけられずに斎藤は目を細めた。



後悔、とは何か。懺悔とは。誓いとは、約束とは。
墓石の前には先刻買った花が無造作におかれていた。
杓で汲めないほどになった残り水を逆さにすることで消した。
舞い上げられた砂が斎藤の目をかする。目を開いたまま斎藤は何か思案している。










書類をめくる音だけが響く部屋で二種類の紫煙が混ざって昇った。
手袋の白さがいやに目につく、と川路は思った。

煙草をくわえたままひたすら書類をながめるように見えた部下は組んでいた足を代えた。
有機物が燃える音を立てながらはらはらと粉が舞う。
灰が落ちそうだ、などと余計なことを考えながら川路は自分の葉巻を灰皿に押しつけた。

カーテンをひいた部屋は暗くてほこりっぽい。指を動かすたびに残る火の軌跡がしばらく目に焼き付いて消えなかった。
行ったことがない。つぶやいた斎藤に川路が応える。
行きたいのか、そう川路は云った。

斎藤は書類をたどっていた目線をちらりと上げて川路の目を見た。

別に。何となく。思っただけだ、と。

思うだけならわざわざ口に出すなと川路が云う。
引き出しから数枚の紙切れを出して、ペンを走らせた。
ため息を吐いてから、それを斎藤に投げてよこした。

数日間の休暇と公費使用書類。行き先は少々遠かった。














「風邪ひくで」

ばしゃり、音をたてて張が土を踏んだ。
其の音で初めて斎藤は自分に雨が叩き落ちているのを知った。

ぬかるんだ墓場の土を踏んで張が斎藤との距離をつめる。

様子を見ながら、傘を持っているのに何故。ぼんやりそう思った。

濡れて落ちた金色が太陽の光を受けずにくすんでいる。
真横に立った張に斎藤は向き直った。

どのくらい此処にいたのだろう。相手との温度差に指先がこわばった。


「考えても考えてもわからない」

ぬるくなった水滴がいくつもの筋をつくって斎藤の肌の上をすべった。

「止めた筈なのにどうして」

この場に立つ前から。考えるのを止めたいのに止まらない。
すくった先からこぼれ落ちていく気が否めない。

思い出したくないのに考えてしまう。考えたくないのに思ってしまう。
雨でぐしゃぐしゃにつぶれた花が流れていく。花弁が周りを汚した。
張の目をまともに見れなかった。張の目は晴れた日を映し出す。
あの、離れた日が、温度を失った日が。



捨てる決断を強いられたあの日の空に似ていた。
あの時下げた頭を上げるのが怖かった。
男がどんな表情をしているのか見るのが怖かったから。
どんな表情をしていても、きっと自分は傷つくのだろうと思えた。

部屋に呼ばれた日、障子にかける指先がふるえていた。何を告げられるのかはかけらも予測できてはいなかった。
最後まで男の下で刀を振るう覚悟は気の遠くなるような昔についていたからだ。

男の向こう側に見た、まがまがしく晴れ渡った空の色が。











「張」

張の落とした傘を拾おうとした手がふるえている。
眉間にしわを刻んで、きつく目を閉じた。


「張」


断続的に降り注ぐ雨が首筋から背中にかけてぬらした。
肩に押しつけられたてのひらが生ぬるくて不快だ。名前を呼ばれた気がする。

視界を遮断したまま斎藤は顔をあげた。何か云ってほしいと思った。



「張」



言葉の代わりに降った髪の毛。斎藤は泣きたくなって泣いた。













05.08.31 up
05.08.27 完成

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